フジファブリック記録。…ってブログ名にすべき?

今日はクリスマスイブなので、クリスマスもしましたが。
先日から企画していた「ひとり自己満・志村正彦追悼企画」を行いました。

前々からやりたかったのです。「志村正彦全詩集」の歌を全部歌う!(覚えきっていないのは聴く)
……実は一昨日から始めていたのですが「DOKI DOKI」を除き完遂しました。
しかし淋しい……淋しいのです。「ああ終わってしまったぁ〜」って感じです。

終わってみて、今まで、純粋に志村くんの死去に対する自分の悲しみを表現していなかったことにあらためて気付きました。
そんなに泣いてもいなかったし。どこかで…1ファンの私ごときがご親族やメンバーの悲しみを思えばおこがましいかななんて思っていたからなのかもしれません。

なのに、何故かわからず突然歌っている途中で息が詰まり、歌い続けられなくなるほど涙が零れた歌が2曲。

「クロニクル」
「Wedding Song」
後者の歌は、聴いている時はそこまで感情が入っていかなかったのですが、今日初めて歌ってみて、
「おめでとう そしてこれから 待っている素敵な日々」
で、詰まりました。何だろう。聴いているのと実際に口に出すのと違うんですね。
言魂…とでも言うのでしょうか。
「クロニクル」は、突然最後の2行のメッセージが、何故か完全に 自分→志村正彦さん という構図が出来てしまって。…この曲も聴いている時は励まされこそすれ、感極まるようなことはなかったのに。不思議です。


志村くんが亡くなったことについては、実際今となっては、惜しかったのどうのとは言いたくはないんです。人は誰でもいつかは死ぬし、本当に彼が不幸な亡くなり方をしたとも心の底から思えない部分もあります。むしろ必死で自分の生き方に真っ直ぐに真っ直ぐに生きた、とてもすごい人だと思うので、それで力尽きたのなら、「…おつかれさま…」とひと言言って、手を合わせたい。

でも、「生きていてほしかった」と今生きている人々が思うのはそれとは別に真実だと思うから、それは否定するつもりはありません。つまり、こういう「追悼」みたいなことは、本人のためではなく、あくまで生きている人間のためにあるのかなぁなんて思ったりもします。

それにしても、自分は志村くんがもういないって現実受け止めるのに3年もかかっているんだと改めて知りました。
と、同時にソウくん、ダイちゃん、加藤さんをこんなにいとしく思う理由もわかった気がしました。

いつもフジファブリックのライブでとっても好きだったのが、メンバー同士のやりとりだったんですね。なんか照れとか意地とかあってちょっとぎこちないけど、すごく信頼し合っている感じ?志村くん自身は、その気持ちをうまく表現出来ていなかったみたいですけど。
私自身彼等より10歳も上ですから、雰囲気で何か感じるんですよね。あぁ何か思い合ってるのに不器用でうまく伝え合えてない空気だなぁなんて。ピュアで本当にかわいい4人組だった。
それで、今の3人のあの楽曲でしょう?たまらないです本当に。

今でも志村くんが亡くなったことで、どうしても3人の曲が聴けないって方に声を大にしていいたいです。
とにかく、シングルCDを買って、聴かなくてもいいからライブのDVDを見て!!って。

3人のベクトルは、ファンと一緒なんです。3人も悲しくてつらくて、でも、最高のレベルで志村くんの素晴らしさを伝え続けようとしているんです。3人とも凄く綺麗で格好良くて、そして年上の私は、姉のような目で3人がいとしくてたまりません。もう「すごいねすごいね」って言ってギューっとしたくなります(失礼だろって怒るのはやめてね)。

ぜひ、ぜひご一考くださいっ